肝臓”生体化学コンビナート”の設計図


1.はじめに

 毎日食べる食事は小腸で吸収され、そのほとんどは門脈を介して肝臓へ流れ込む。小腸が体の外と中を区切る最前線と考えると、肝臓は体の中の最前線として、流入した栄養素の再分配と恒常性の維持を行っている。
 肝臓は多数の複雑な酵素系を持っており、栄養素の代謝、生体に必要な物質の生産、代謝最終産物の処理、有害物質の解毒などを行っている。つまり、肝臓の働きは1)糖新生による血糖の維持、2)エネルギーの蓄積、3)血清タンパク質の産生、4)アンモニア解毒、5)薬剤の解毒などである。肝臓は肝実質細胞、内皮細胞、星細胞、クッパー細胞、線維芽細胞、ピット細胞により構成され、肝臓としての機能は総細胞数の70%を占める肝実質細胞(肝細胞)が行っている。1つの肝細胞で2000種類にも及ぶ化学反応を短時間にやってしまう能力を持ち、その集合体の肝臓はまさに生体の化学コンビナートである。肝細胞は高度に分化した臓器であると同時に、あまりにも多くの化学反応を行うため最も専門化していない細胞であるとも言われている。高度に分化しつつ最も専門化していないと言う一見矛盾した肝細胞の特徴は、肝再生にその例を見ることが出来る。肝臓を70%切り取ったとき、急激な細胞分裂が起こり、もとの大きさになると再生はぴたりと止まる。肝細胞が減って細胞分裂をしている間でも肝臓は肝機能を維持し、むしろいつも以上にその機能を高めている。分化しつつ増殖を行う一見矛盾した現象が肝細胞の特徴であるともいえる。

2.肝細胞の分化を決める設計図

 肝細胞の機能を決める情報は遺伝情報として、DNAに書かれており、その情報がどのように読まれるか、つまりある特定の遺伝子だけ転写される機構が肝臓分化の決定因子であると考えられる。肝臓特異的に存在する転写因子の検索が行われ、HNF-1、HNF-3、HNF-4、C/EBP、DBPなどがクローン化されたが、肝臓だけに存在する転写因子はなく、現在のところこれら転写因子のの複合的な作用により肝臓特異性が決められていると考えられている。

●HNF-1
 HNF-1a、HNF-1b。ホメオタンパク質。肝臓以外に、腎臓、腸、膵臓、胃など極性を持った上皮細胞で発現。ノックアウトマウスは離乳頃に死亡、肝機能、腎機能の低下。
●HNF-3
 HNF-3a、HNF-3b、HNF-3g。フォークヘッドタンパク質。HNF-3aは肝臓、膵臓、肺で発現。ノックアウトマウスは胎性致死。
●HNF-4
 オーファン核内リセプタータンパク質。肝臓以外に腎臓、腸、膵臓で発現。ノックアウトマウスは胎性致死。
●C/EBP
 C/EBPa、C/EBPb、C/EBPg、C/EBPd。bZIPタンパク質。C/EBPaは肝臓、脂肪組織、肺で発現。ノックアウトマウスは生後死亡。C/EBPbはIL-6の情報伝達に関与。
●DBP
 PARタンパク質。肝臓以外に、腎臓、肺、脳、下垂体などで発現。

 これら肝臓特異的転写因子は肝臓特異的に発現する遺伝子(アルブミンなど)のプロモーター領域に結合する因子としてクローン化されてきたが、これらの因子の相互作用や肝臓分化ヒエラルキーの上下関係はあまりよく分かっていない。
 マウス胎児の肝臓ができるとき、内胚葉から肝臓原基ができるあたりでHNF-3bの誘導が起こり、続いて肝臓原基ができる頃HNF-3a、HNF-4、HNF-1bの誘導が起こる。それ以降にHNF-1a、C/EBPaの誘導が起こり、生まれてからDBPの誘導が起こる。これらの事実から先に発現するものほど重要であろうと考えられるが、HNF-3の発現は維持しているものの肝臓表現型を全く失っているヘパトーマがあることから、肝臓特異的転写因子はかなり複雑に相互作用しているようである。

3.肝細胞の立地条件

 肝細胞は設計図である遺伝情報により分化するが、遺伝情報だけでは肝細胞はできず、環境要因の影響を受けて肝細胞へ分化する。つまり、肝臓原基ができる内胚葉を取りだし組織培養しても肝臓にはならないが、間葉織との接触があるとその内胚葉は肝細胞へ分化を始める。また、成熟肝細胞を体外へ取りだし培養すると、肝臓特異的遺伝子発現は急激に減少し脱分化していくが、細胞外マトリクスを変化させると肝機能を長期にわたり高く維持することができる。肝細胞は、化学コンビナートを建設することのできる立地条件がそろわないと立てられないようである。
 内胚葉から肝臓を作り出す立地条件(環境因子)が何であるか全く不明であるが、成熟肝細胞の分化維持に必要な立地条件が分かりつつある。細胞外マトリクスとして基底膜成分に近いEHS-gel(マトリゲル)を使用し初代肝細胞培養を行うと、肝細胞は単層を形成せず、分離直後の球形のままで培養される。この球形を維持した肝細胞は肝臓特異的遺伝子発現を高く維持し(アルブミン、アポリポタンパク質A-I、チロシンアミノ基転移酵素、フォスフォエノールピルビン酸カルボキシキナーゼなど)、肝臓で見られるようなホルモン応答性を示す(リンゴ酸酵素、HMG-CoA還元酵素など)。私たちは、細胞外マトリクスを変化させたり、使用しなかったり、様々な培養法を行い、この立地条件の最も重要な因子は細胞外マトリクスの素材ではなく、肝細胞が立体的に球形を維持することであること明らかにした。
 この球形を維持するときに連動して変化する肝臓特異的転写因子はHNF-4であり、他の転写因子と肝臓特異的遺伝子発現との間に相関関係は見られない。これらの結果から、肝臓表現型を決める最も重要な因子の一つはHNF-4であり、HNF-4は肝臓分化ヒエラルキーの比較的上位に位置する可能性が考えられる。
 立体的形態によるHNF-4遺伝子発現の維持には微小管が必須であり、細胞内骨格を介して球形という情報が核へ伝えられるようである。多くの化学反応を同時に行う化学コンビナートには扁平なところ(細胞)では窮屈で、立体的形態の方が適しているようにも想像されるが、この立体的な形態(球形)の意味は不明である。

 

4.分化しつつ増殖する肝細胞

 肝切除をしたとき、増殖中でも肝機能を落とせない肝細胞は、失った肝細胞を補うためいつもよりも肝機能を亢進させなければならない。肝細胞はどのように増殖と分化を両立させているのであろうか。増殖する細胞と肝機能を亢進させる細胞は別々で、役割分担をしているとも考えられるが、一つの肝細胞が両方やっているとも考えられる。肝切除で誘導される肝臓特異的転写因子はC/EBPbだけであるが、初代培養肝細胞に増殖刺激を与えるとHNF-4が誘導され、HNF-4によって調節される遺伝子群の誘導が見られる。分化しつつ増殖する肝細胞の特徴もHNF-4によって制御されているかもしれない。

5.おわりに

 これまで多くの研究で用いられているヘパトーマでは、増殖するものの分化の程度が低く、一方、初代培養肝細胞では肝機能は高く維持できるものの長期培養が難しい。試験管肝臓のようなものが作り出せれば、栄養素の代謝など多くの研究が動物を使用しなくてもできるだけでなく、人工肝機能補助装置も可能になると考えられる。ヘパトーマでは肝臓特異的転写因子の発現は一般に低く、HNF-4などの転写因子を導入すれば人工肝細胞がつくれるかもしれない。実際、アメリカのグループは肝臓表現型を全く失った元ヘパトーマにHNF-4を過剰発現させ、肝臓表現型の一部を引き出すことに成功している。


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Updated 5/3/96