微生物による植物の病気を遺伝子レベルで明らかし、植物の生産性向上をめざす。
農業技術が進歩した現在でも、世界的には毎年、10〜15%の食糧が植物の病気によって失われています。これは約5億人分の食糧に相当します。このような食糧の安定供給を脅かす植物病害の約80%は糸状菌(カビ)が原因です。糸状菌は、地球上に約10万種存在すると言われていますが、作物に病気を引き起こすものは8千種程度です。糸状菌の進化の過程で、植物に感染する能力を獲得したものだけが病原菌になったわけです。
私たちの研究室では、糸状菌が植物に病気を引き起こすプロセス、つまり「植物への侵入」、「植物中での増殖」、「それぞれの病気に特徴的な病徴発現」などに関係する能力や、病気の伝染源として重要な胞子形成について研究を進めています。具体的には、2種の病原糸状菌(Alternaria alternataとFusarium
oxysporum)について、それらの植物感染に関与する遺伝子群を単離し、植物感染メカニズムを遺伝子レベルから総合的に解明することを目指しています。これらの研究によって、植物を病害から保護するための新たな技術開発に貢献したいと考えています。
(1)Alternaria alternata病原菌の宿主特異性
植物病原菌は、それぞれ限られた作物種あるいは作物品種にのみ病害を引き起こします。このような現象は、宿主特異性あるいは宿主選択性と呼ばれています。宿主特異的な寄生性を決定する物質として、ある種の病原糸状菌が宿主特異的毒素を生産することが知られています。宿主特異的毒素は菌の2次代謝産物であり、それぞれの宿主作物に対してのみ低濃度で毒性を発揮します。現在までに、19種の病原糸状菌から宿主特異的毒素が報告されており、そのうち7例がAlternaria alternataの7種の病原型(pathotype)由来です(図1、表1および図2)。これら病原型は異なる毒素を生産し、それぞれ異なる作物(毒素感受性植物)に感染します。図3に1例として、ナシ黒斑病菌の宿主特異的毒素(AK毒素)の活性を示します。
表1.宿主特異的毒素を生産するAlternaria alternata病原菌
病原型 |
病 名 |
毒 素 |
宿主植物 |
Japanese pear |
ナシ黒斑病 |
AK毒素 |
ニホンナシ(二十世紀) |
strawberry |
イチゴ黒斑病 |
AF毒素 |
イチゴ(盛岡16号) |
tangerine |
タンゼリンbrown spot |
ACT毒素 |
タンゼリン、グレープフルーツなど |
apple |
リンゴ斑点落葉病 |
AM毒素 |
リンゴ(インド、デリシャス系統) |
tomato |
トマトアルターナリア茎枯病 |
AAL毒素 |
トマト(ファースト、Earlypak 7) |
rough lemon |
ラフレモンbrown spot |
ACR毒素 |
ラフレモン |
tobacco |
タバコ赤星病 |
AT毒素 |
Nicotiana属植物 |
A. alternataは、自然界に広く分布する空中飛散性の本来腐生的な糸状菌です。したがって、宿主特異的毒素を生産するこれら病原菌は、腐生的な糸状菌が宿主特異的毒素の生産性を獲得することによって病原菌化したものと考えられています。
当研究室では、A.alternata病原菌の毒素生合成遺伝子群を単離し、それらの構造と機能を解析することによって、植物寄生性の進化を遺伝子レベルから明らかにしたいと考えています。これまでに、ニホンナシ、イチゴ、タンゼリン、リンゴの病原菌から毒素生合成遺伝子を単離しています。どの毒素も低分子物質ですので、その生合成には複数の酵素遺伝子が関与します。これまでの研究から、それぞれの毒素生合成遺伝子群が特定の染色体領域にクラスターとして存在することを明らかにしています。さらに、これら遺伝子クラスターが、生存には必要でない余分な染色体[conditionally dispensable (CD)染色体]に分布していることを見出しました。現在、毒素生合成遺伝子クラスターの同定をさらに進めるとともに、毒素生合成遺伝子をコードするCD染色体の実体解明に取り組んでいます。この研究は、岡山大学、香川大学、鳥取大学の研究グループとの共同研究として進めています。
(2)Fusarium oxysporumの病原性
Fusarium oxysporumは、自然界に広く分布する土壌生息性糸状菌であり、土壌中の有機物などを利用して腐生的に生存しています。しかしながら、本菌には異なる作物に萎ちょう性の重要病害を引き起こす80以上の病原性系統(分化型)が存在します。さらに、いくつかの分化型には感染する品種が異なるレースも存在します。本菌の有効な防除薬剤は未だ開発されておらず、その防除は抵抗性品種に大きく依存しています。このように、最重要かつ難防除病原菌であるにもかかわらず、F.
oxysporumの病原性機構についてはほとんど明らかにされていません。
当研究室では、メロンつる割病菌(F. oxysporum f. sp. melonis)(図4)を材料として、形質転換ベクターによる遺伝子タギング法を用いて、病原性変異株を分離し、病原性関連遺伝子の同定を進めています。これまでに、40株以上の病原性変異株を分離しました。それらで変異した遺伝子、すなわち病原性に関与する遺伝子を探索し、ミトコンドリア運搬体タンパク質、2種の転写制御因子、アルギニン生合成酵素、糖新生酵素をコードする遺伝子を新規な病原性関連遺伝子として同定しています(図5)。さらに、同定した転写制御因子によって発現が制御される遺伝子、すなわち直接病原性に関与する遺伝子の探索を行っています。また、突然変異源処理によって、多数の栄養要求性変異株を分離し、植物感染に重要な基礎代謝の同定も進めています。これらの研究によって、本菌の植物感染メカニズムの総合的な理解を目指しています。
また、F. oxysporum病害では、非病原性あるいは弱病原性のF.
oxysporum菌株を前もって根圏に接種することによって、病害を軽減できるという生物防除効果が報告されています。これまでに当研究室では、病原性程度が異なる多数の変異株を分離しています。そこで、これら病原性変異株の生物防除効果を検定し、生物防除に有効な変異株の探索も行っています。
(3)Fusarium oxysporumの胞子形成
病原糸状菌の胞子形成は、伝染源や耐久生存器官の供給機能として病理学的、生態学的に極めて重要な形質です。糸状菌の胞子は、交配によって形成される有性胞子と、菌糸から無性的に分化する分生胞子に分けられます。分生胞子は自然界での伝染源、耐久生存器官としてより一般的かつ重要ですが、分生胞子形成の遺伝子機構についてはほとんど明らかにされていません。
F. oxysporumは、小型胞子、大型胞子および厚膜胞子の3種の無性胞子を形成します(図4A)。小型胞子と大型胞子は第2次伝染源として、厚膜胞子は土壌中での耐久器官、さらに第1次伝染源として、病害発生に重要な役割を果たします。このように多様な無性胞子を形成する糸状菌は珍しく、本菌の大きな特徴です。
当研究室では、形質転換ベクターによる遺伝子タギング法を用いて胞子形成変異株(rensa、kogataおよびtsuribari変異株)を分離しました(図6)。これら変異株のうち、rensa変異株の変異遺伝子(REN1)を同定し、REN1が小型胞子と大型胞子の形成に不可欠であることを明らかにしました。さらに、コウジカビ(Aspergillus
nidulans)の分生胞子形成に中心的な役割を果たすstuAの相同遺伝子(FoSTUA)を単離し、FoSTUAが小型胞子形成には関与せず、分生子柄を経由した大型胞子形成に不可欠であることを見出しました(図6)。これら2つの遺伝子は、どちらも転写制御因子をコードしています。そこで、これら転写制御因子によって発現が制御される遺伝子の探索を進めています。
また、胞子形成用培地と栄養成長用培地で培養した場合の発現遺伝子群をEST(expressed sequence tag)解析によって比較し、胞子形成時に特異的に高発現する遺伝子を単離しています。現在、それら遺伝子の胞子形成における機能を解析し、胞子形成に関与する遺伝子群の網羅的な同定を進めています。