天然物合成の魅力
  天然物合成:「一度やったらやめられない」という鈴木啓介先生(東工大)の言葉[注1] が物語る様に、天然物合成の魅力は体験した者でないと分かり難いかもしれない。天然物合成の位置付けが、人それぞれなので、人によって魅力が異なるのは当然である。しかし、私は天然物合成の魅力は、なんと言ってもその意外性にあると考えている。これは天然物合成を含む天然物化学領域に共通した魅力であり、天然物の多様性に富んだユニークな化学構造によってもたらされる。いうまでもなく、この構造多様性は多様な生物活性の源であり、コンビケミムで構築した化合物ライブラリーにおそらくは決してまねが出来ないものである [注2]。従ってこれら天然有機化合物を対象とする研究では、当然のように様々な意外性に遭遇することになる。
   天然物合成の場合、その合成研究の過程で次々に遭遇する想定外の反応性がそれにあたり、多くの場合、天然物合成の大きな障害となる。特に合成が進み、合成中間体の構造が天然物に近くなると、その頻度は急速に高まる。立体障害による反応性の著しい低下や、通常では考えられないような隣接基関与による副反応がそれにあたる。多官能性天然物の合成では、例え単純な反応でも基質が異なれば反応性が異なるという至極当然なことを、いやと言うほど思い知らされる貴重な機会でもある。天然物合成を進めるためには、この様な合成中間体の異常な(ユニークな)反応性 [注3] の原因を明らかにして、上手に制御しなければならない。そのためには、化合物に教えを請うことが重要で、実験の試行錯誤と反応の注意深い観察がこれに当たる。一見単純な結果でも、じつは非常に複雑な過程を含むことも珍しくないので注意が必要である。「本当に大事なことは目に見えない」のである。しかし、これを一つずつ解いて操っていくのが、天然物合成のたまらない魅力の一つである。 
   当研究室では、天然物合成に於ける異常な反応性の発見とその原因解明、そしてその活用が天然物合成の完成と同じくらい重要であると考えている。異常反応は、天然物を合成するという目的からすると厄介者以外の何者でもないので、現場の実験者はこれを避けて通ろうとすることが多い。しかし、これは新反応や新条件の発見の糸口になる可能性があるばかりでなく、場合によっては、当初考えもしなかった新合成ルートに繋がるヒントを与えるかもしれない。天然物に限らず、ある特別な化合物の真に効率よい合成法は、いくら高性能な汎用性の高い素反応を単純に組合せても完成しない。
   その化合物の化学的性質(反応性)を熟知する必要があり、その化合物でしか進まないような(化合物の個性を生かした)特殊な反応の活用がその鍵を握ると考えている。
 したがって、当研究室のメインテーマである天然物合成では、生物活性もさることながら、敢えて異常反応に遭遇する可能性を高めるために、分子量が比較的小さい(500位まで)が官能基密度の高い天然物(densely functionalized natural product)をその標的分子としている。
(文責 西川俊夫)
[注1]天然有機化合物討論会 50周年記念講演会「これからの天然物化学」(2009年5月15-16日、仙台)にて。
[注2]但し、残念なことに天然物から構成される化合物ライブラリーは非常に少ない。
[注3]これを化合物の個性と考えている。