マトリゲルによる肝細胞の分化維持
Highly differentiated hepatocytes cultured on MATRIGEL

小田裕昭  名古屋大学農学部応用生物科学科

1.はじめに

 肝臓は多数の複雑な酵素系を持っており、栄養素の代謝、生体に必要な物質の生産、代謝最終産物の処理、有害物質の解毒などを行っている。肝臓の研究や肝臓を利用した研究をする上で、肝細胞培養は極めて有効な手段であるが、樹立肝細胞株では失われている肝機能が多いため初代培養肝細胞が最も有効な手段として用いられている。通常、肝細胞はI型コラーゲン上で単層培養されるが、長期培養や肝機能維持が難しい。これまで多くの培養法が確立されてきたが、ここではマトリゲルを使った初代培養肝細胞の培養法および肝機能維持について述べる。

2.マトリゲルを用いた肝細胞培養法

 ラット肝細胞を分離する前日に(直前でも可)マトリゲルをディッシュにコートする。マトリゲルは氷上では液体であるが、37℃で簡単にゲル化するので、コートするディッシュは氷上に置き、冷やしたピペットを使用してマトリゲルをディッシュへ広げるのが望ましい。マトリゲルを全体に広げたら、30分から1時間CO2インキュベーターに入れ、その後乾燥を防ぐ目的で無血清培地を加えておく。コラゲナーゼ灌流法により分離した肝細胞は、通常より高い細胞密度 (1 x 107/100mmディッシュ) でディッシュに加える。これは、マトリゲル上の肝細胞が伸展せず球形を維持したまま培養されるためである(図1)。I型コラーゲンを用いた場合では、接着・伸展を助けるため血清やインスリン、グルココルチコイドなどが加えられ、4時間後ぐらいに非接着細胞を洗うことになっているが、マトリゲルへの肝細胞の接着は大変良く、無血清・無ホルモン培地を用いて2時間後に洗うことができる。それ以降も長期培養をしない限り無血清・無ホルモン培養が可能である1,2)。
 後で述べるようにマトリゲル重層法の有用性が報告されているが3,4)、この方法は、冷えたマトリゲルを室温ではゲル化しない濃度に希釈し、その希釈マトリゲル培地を加え暖めることによって、マトリゲルを肝細胞上でゲル化させる方法である。ここで述べた以外にもマトリゲル包埋法や、マトリゲルをゲルとしてでなくディッシュにコートすることも可能である。
 マトリゲル上で培養した細胞からの核抽出物やオルガネラの調製は、EDTAとディスパーゼを利用しマトリゲルの消化することにより比較的容易に行えるようになった。

3.マトリゲル上で培養した肝細胞の肝臓特異的遺伝子発現5)

 マトリゲル上で培養された肝細胞はアルブミンの分泌などの肝機能を分離前のレベルで維持している。肝臓特異的的遺伝子発現の維持を表1にまとめてみた。血糖値の維持に関わる糖新生系の酵素は、単層培養では基礎的発現がほとんど見られなくなるのに対し、マトリゲル上では肝臓より低いものの高いレベルで維持されている。血清タンパク質の遺伝子発現は、単層培養で徐々に低下していくが、マトリゲル上ではほぼ分離前のレベルを維持する。胆汁酸合成系は、マトリゲル上で胆汁酸による負の制御も見られるようになる。また、単層培養でかなり低下するインスリン、甲状腺ホルモン、成長ホルモンに対する応答性がマトリゲルによって肝臓レベルまで維持される4)。マトリゲル上の培養が最も有効だと考えられる肝機能は薬物に対する応答性の良さである。チトクロームP-450 (CYP) の維持は優れ、肝臓のみで見られるメチルコランスレンによるCYP1A2の誘導や6)、フェノバルビタールによるCYP2B1/2B2の誘導は高く維持されている2,6,7)。さらに、薬物による脂質代謝の変動もマトリゲル上では見ることができる。

4.マトリゲルによる肝臓特異的転写因子遺伝子発現の制御

 なぜマトリゲル上で肝機能・肝臓特異的遺伝子発現が維持されるのであろうか。肝臓において特定の遺伝子だけ転写される機構が肝臓分化の決定因子であると考えられる。肝臓特異的に存在する転写因子の検索が行われ、HNF-1、HNF-3、HNF-4、C/EBP、DBPなどがクローン化されたが、肝臓だけに存在する転写因子はなく、現在のところこれら転写因子の複合的な作用により肝臓特異性が決められていると考えられている。いくつかの肝臓特異的転写因子は単層培養で低下していくが、マトリゲル上ではHNF-4、C/EBPa、C/EBPbなどが維持され1,8)、特にHNF-4遺伝子発現やDNA結合能は分離前のレベルを維持している6)(表1)。これらの転写因子の支配下にある遺伝子は膨大な数にのぼり、これらの肝臓特異的転写因子の維持によりマトリゲルでは肝臓特異的遺伝子発現が維持されているようである。

5.マトリゲルの肝臓分化維持機構

 次にマトリゲルはどのようにして、またどのような情報を肝細胞へ与えているのであろうか。マトリゲルの肝細胞へ与える影響はいくつかに分けて考えることができる。1)マトリクス成分のインテグリンを介する直接作用3,9)、2)細胞形態の変化10)、3)細胞間接触の違い(面接触)、4)細胞極性11)などである。アルブミンの転写維持にはマトリゲルに多く含まれるラミニンの影響が大きく3)、HNF-4維持には、球形であるという細胞形態が重要である10)。これらの問題は細胞生物学の大きな問題でもあり、肝細胞では分子レベルの研究が十分進んでおらず、今後の研究が待たれる。

6.肝細胞研究への分子生物学的アプローチにおけるマトリゲルの応用

 初代培養肝細胞への遺伝子導入は難しく、分子生物学的研究材料として使うには困難が多かった。リン酸カルシウム法、リポフェクション法などが改良され単層肝細胞への遺伝子導入が可能になってきているが、マトリゲル上での成功例はない。これではマトリゲル上でのみ維持される遺伝子発現について研究することができない。最近、単層培養で遺伝子導入を行い、その肝細胞にマトリゲルを重層させることで高分化肝細胞への遺伝子導入が可能になった4)。この方法により、甲状腺ホルモンへの応答性4)や薬物によるCYP2B2遺伝子のプロモーター活性の解析が可能になった12)。また、遺伝子治療技術を応用したリセプター経由遺伝子導入法が開発され13)、マトリゲル上肝細胞への遺伝子導入法として期待される。一方、マトリゲル重層法はコラーゲンサンドイッチ法と同様、細胞極性を回復させ得る実験系として重要であり11)、今後マトリゲルサンドイッチにより、より肝臓に類似した肝細胞培養系ができるのではないかと期待している。

文献

1) Oda, H., Nozawa, K., Hitomi, Y., et al.: Biochem. Biophys. Res. Commun., 212: 800-805, 1995.
2) Yoshida, Y., Kimura, N., Oda, H., et al.: Biochem. Biophys. Res. Commun., 229: 182-188, 1996.
3) Caron, J. M.: Mol. Cell. Biol., 10: 1239-1243, 1990.
4) Shih, H. and Towle, H. C.: BioTechniques, 18: 813-816, 1995.
5) Flaherty, P. and Tadmor, B.: J. NIH Res., 7: 74, 1995.
6) Matsushita, N., Oda, H., Kobayashi, K., et al.: Biosci. Biotech. Biochem., 58: 1514-1516, 1994.
7) Schuetz, E. G., Li, D., Omiecinski, C. J., et al.: J. Cell. Physiol. 134: 309-323, 1988.
8) Rana, B., Mischoulon, D., Xie, Y., et al.: Mol. Cell. Biol., 14: 5858-5869, 1994.
9) Brown, S. E. S., Guzelian, C. P., Schuetz, E., et al.: Lab. Invest., 73: 818-827, 1995.
10) 小田裕昭: 日本農芸化学会誌, 70: 797-798, 1996.
11) Musat, A. I., Sattler, C. A., Sattler, G. L., et al.: Hepatology, 18: 198-205, 1993.
12) Trottier, E., Belzil, A., Stoltz, C., et al.: Gene, 158: 263-268, 1995.
13) Perales,J. C., Grossmann, G.,Molas, M., Liu, G., Ferkol, T., Harpst, J., Oda, H . and Hanson, R. W.: J. Biol. Chem., in press, 1997.


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Updated 6/2/97