吉村 徹 (YOSHIMURA Tohru)

農学博士
名古屋大学大学院生命農学研究科
応用分子生命科学専攻 応用生命化学講座
生体高分子学分野 教授


所属学会

日本農芸化学会、日本生化学会、日本ビタミン学会、日本生物工学会、D-アミノ酸研究会コンビナトリアルバイオエンジニアリング研究会



略歴

京都大学農学部農芸化学科卒業、同大学院農学研究科博士課程(農芸化学専攻)修了後、京都工芸繊維大学繊維学部助手、京都大学化学研究所助手、同助教授を経て、2003年よ り現職。
連絡先

〒464-8601 名古屋市千種区不老町
Tel. 052-789-4132/ Fax. 052-789-4120

mail: yosimura 以下 @agr.nagoya-u.ac.jp


研究の紹介

ビタミンB6酵素 の反応機構と分子進化

 私たちのグループではアミノ酸代謝に関連するピリドキサルリン酸(PLP、ビタミンB6の補酵素型)酵素を材料に、高分子であるタンパク質と低分子である補酵素が協調して触媒機能を発現・制御する機構を研究しています。近年は特に、細胞壁の構成成分として細菌の生育に必至なD-アラニンの合成を触媒するアラニンラセマーゼについて研究してきました。ラセマーゼ反応は基質と生成物のエンタルピーには差がなく、反応の駆動力が専らエントロピー変化によるなど、他の酵素反応と異なるユニークな特性を有します。我々は、部位特異的変異と変異酵素の動力学解析、反応中間体アナログを結合した酵素の立体構造解析等により、好熱性細菌由来アラニンラセマーゼの反応機構を検討しました。その結果、同酵素にはそれぞれL-アラニン、D-アラニンの2位水素の授受を触媒するチロシン、リジンの二つの触媒基が存在すること、基質のカルボキシル基が両残基間での水素の受け渡しに関与すること、またラセマーゼ反応は、従来考えられていたようなキノイド中間体を経由しないことなどを骨子とする新しい反応機構を提案しました。本研究は、アラニンラセマーゼのインヒビター設計に指針を与えると共に、これまで唱えられていたPLP酵素の反応機構に見直しを迫るものと考えています。

 ところで、補酵素に依存する酵素反応は、高分子であるタンパク質と低分子である補酵素が協調して働く一種の超分子システムと見なすことができます。PLPを補酵素とする一連の酵素反応は、PLPと金属によるモデル反応が可能です。すなわちPLP酵素反応では反応中に起こる電子移動は補酵素部分が担い、酵素タンパク質は反応の効率化と基質特異性の発現などに関与します。私は、アミノ酸とケト酸の間のアミノ基転移反応を触媒するアミノトランスフェラーゼや、他のPLP酵素が副反応として触媒する基質-補酵素間の可逆的水素転移反応の立体特異性を決定する方法を考案し、これを系統的に研究しました。その結果、すでに既知であったsi-面(PLPと基質が作る平面状の反応中間体の一方の面)上でのみ水素転移反応を触媒する酵素群の他に、re-面特異的、および立体非特異的な水素転移を触媒する酵素を初めて見いだしました。水素転移の立体特異性は触媒基と補酵素の相対的な位置関係、すなわち酵素タンパク質とPLPの結合様式を反映しています。水素転移反応の立体特異性が三様存在することから、PLPは起源を異にする少なくとも三種のタンパク質とそれぞれ協同して働くシステムを形成し、これが現在のピリドキサル酵素に収斂進化したものと推論しました。後に行われたPLP酵素の立体構造解析はこの仮説を支持しています。

 現在、ビタミンB6酵素に関係する研究としては、(1)N-末端側にDNA結合ドメイン、C-末端側にPLP結合ドメインを持ち、細菌の転写因子として機能すると考えられるGabR様タンパク質、(2)細菌から哺乳動物まで幅広く分布し、細菌のアラニンラセマーゼのN-末端ドメインと相同な立体構造を持つことが判明しているにもかかわらずその機能が未知のタンパク質(酵母ではYBL036Cp)、(3)細菌のD-アミノ酸アミノ基転移のループエンジニアリング(ループ部分の改変による酵素の機能改変)、の3つテーマが進行中です。

真核生物におけるD-アミノ酸の機能

 D-アミノ酸が細胞壁ペプチドグリカンの構成成分として、細菌の生育に必須であることは以前からよく知られていました。一方この10年ほどの間に、D-アミノ酸が哺乳類を含む高等動物においても重要な生理作用を有することが分かって来ています。現在、哺乳動物での生理作用について最も研究が進んでいるのはD-セリンです。D-セリンは、L-グルタミン酸依存性のイオンチャネルの一つであり記憶や学習といった脳の高次機能にかかわるN-メチル-D-アスパラギン酸受容体(NMDAレセプター)のコアゴニストとして働きます。すなわち、NMDAレセプターが活性化されるためには、興奮性の神経伝達物質であるL-グルタミン酸とともに、コアゴニストとしてD-セリンが必要です。1988年に、Xenopusのoocyteに発現させたNMDAレセプターの活性化において、D-セリンがグリシンを代替できることが報告されましたが、哺乳動物にはD-アミノ酸は存在しないとの常識もありそれほど注目されませんでした。しかし90年代になって、橋本らがD-セリンが哺乳類脳に高濃度存在しその分布パターンがNMDAレセプターのものと一致することを報告してから、内在性生理活性物質としてのD-セリンの役割が俄然注目されるようになりました。その後、米国のSnyderらによって、D-セリンがtype II astrocyteに多く存在し、非NMDAレセプターの活性化で放出されること、D-アミノ酸オキシダーゼを加えD-セリンを分解した組織ではNMDAレセプターの活性が低下することなどを明らかにしました。このような一連の研究により、現在ではD-セリンがNMDAレセプターのグリシンサイトに結合し、同レセプターを活性化する内在性コアゴニストであることが定説となっています。またD-セリンがNMDAレセプターの機能調節に働くことがわかると、種々の神経疾患とD-セリンのかかわりが指摘されはじめました。統合失調症の原因の一つにグルタミン酸系神経伝達の異常があるとされていますが、Chumakovらはヒト13番染色体のSNPs解析により統合失調症の疾患感受性遺伝子の検索を行い、その一つとしてG72遺伝子を得ました。この遺伝子産物であるpLG72は、D-セリンを分解するFAD酵素、D-アミノ酸オキシダーゼ(DAO)と相互作用しその活性を上昇させます。DAOのD-セリン分解への寄与については、DAOの脳内局在性からまだ議論の余地がありますが、pLG72によりDAOが活性化され起こったD-セリンの過剰な分解がNMDAレセプターの機能低下を招き、統合失調症の発症につながるとのストーリーを描くことができます。D-セリンやD-シクロセリンの投与は統合失調症の症状の緩和に有効であることは事実で、すでに臨床応用も計られています。また昨年、アルツハイマー症の患者の血中D-セリン濃度が健常者の場合に比べ有意に低下していることも報告されており、脳内D-セリンの機能はこれからも注目を集めるものと予想されます。

 さて、D-セリンの生理的意義が明らかになるにつれ、その生合成経路の解明が試みられました。私たちは1998年にカイコに動物では初めてとなるセリンラセマーゼを見いだし、蛹から部分精製しました。その後、Woloskerらはラット脳からセリンラセマーゼを単離精製し、マウスからその遺伝子をクローニングしました。ピリドキサ-ルリン酸(PLP)に依存するこの動物型セリンラセマーゼは、細菌のアミノ酸ラセマーゼとは進化的に異なり、細菌型 L-トレオニンデヒドラターゼなどと同じファミリーに属しています。動物型セリンラセマ−ゼ遺伝子はヒト、分裂酵母などにも存在しており、その遺伝子産物が実際にセリンラセマーゼ活性を有することが明らかとなっています。しかしこの動物型のセリンラセマーゼの活性は極めて弱く、細菌型アミノ酸ラセマーゼの活性(Vmax値)の1/1000以下にすぎません。現在、哺乳動物脳内のD-セリンは、アストログリアに存在するこの動物型セリンラセマーゼによって生合成されるものと考えられています。しかし本酵素はラセミ化だけでなく、D、L-セリンのデヒドラターゼ反応(分解反応)も触媒し、条件によってはデヒドラターゼ活性がラセミ化活性を上回ります。さらに、セリンとの反応中に酵素が徐々に失活する自殺基質反応様の現象が見られることなどもあり、私たちは動物型セリンラセマーゼのD-セリン生合成系としての意義については疑問を感じています。先に述べたように、私たちはカイコに動物では始めてとなるセリンラセマーゼを見いだしましたが、これまで昆虫には哺乳動物型のセリンラセマーゼ遺伝子は報告されておらずカイコのセリンラセマーゼの構造に興味が持たれます。また私たちは、カイコのセリンラセマーゼ活性が変態に際して一過的に上昇することを明らかにしており、D-セリンが発生に関係する可能性も考えられます。このような背景から、私たちはカイコのセリンラセマーゼについて研究を続けています。また私たちは酵母におけるD-アミノ酸の機能の研究を通じて、D-アミノ酸が単細胞生物と多細胞生物で異なる機能を持つ可能性を考えるようになりました。これを検討するため、単細胞と多細胞の二つの生活環をもつ細胞性粘菌におけるD-アミノ酸の機能についても研究を始めています。

ファージディスプレイ法によるペプチド性酵素インヒビターの開発

 ファージディスプレイ法は、コートタンパク質上にペプチドライブラリーを呈示したファージを用いてターゲット分子とパニングを行い、ターゲットに親和性を有するペプチドを検索するものです。このペプチドの配列は、増幅可能なファージの遺伝情報から同定できます。本法は単純な手法ですがが、アイデア次第ではたいへん有用な道具となります。わたしたちはこのファージディスプレイ法を用いて、病態に関連する酵素やタンパク質のインヒビターの構築とその阻害機能の研究を行っています。

 


最近の研究業績

原報

Mihara, H., Kurihara, T., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2000) Kinetic and mutational studies of three NifS homologs from Escherichia coli: Mechanistic difference between L-cysteine desulfurase and L-selenocysteine lyase reactions.   J. Biochem., 127, 559 - 567.

Mihara, H., Kurihara, T., Watanabe, T., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2000) cDNA cloning, purification, and characterization of mouse liver selenocysteine lyase.   J. Biol. Chem. , 275, 6195 - 6200.

Nakai, T., Mizutani, H., Miyahara, I., Hirotsu, K., Takeda, S., Jhee, K.-H., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2000) Three-dimensional structure of 4-amino-4-deoxychorismate lyase from Escherichia coli.  J. Biochem., 128, 29 - 38 .

Kato, S., Mihara, H., Kurihara, T., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2000) Gene coning, purification, and characterization of two NifS homologs from a photosynthetic bacterium driving iron-sulfur cluster formation.  Biosci. Biotechnol. Biochem. 64, 2412 - 2419.

Jhee,K.-H., Yoshimura, T., Miles, E.W., Takeda, S., Miyahara, I., Hirotsu, K., Soda, K., Kawata, Y., and Esaki, N. (2000) Stereochemistry of the transamination reaction catalyzed by aminodeoxychorismate lyase from Escherichia coli: Close relationship between the fold type and stereochemistry.  J. Biochem., 128, 679 - 686.

Gutierrez, A., Yoshimura, T., Fuchikami, Y., and Esaki, N. (2000) Modulation of activity and substrate specificity by modifying the backborne length of the distant interdomain loop of D-amino acid aminotransferase.  Eur. J. Biochem., 267, 7218 - 7223 .

Watanabe, A., Yoshimura, T., Lim. Y.-H., Kurokawa, Y., Soda, K., and Esaki, N. (2001) Stereochemistry of the hydrogen abstraction from pyridoxamine phosphate catalyzed by alanine racemase of Bacillus stearothermophilus. J. Mol. Catal. B-Enzymatic, 12, 145 - 150.

Uo, T., Ueda, M., Nishiyama, T., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2001) Purification and characterization of alanine racemase from hepatopancreas of Black-tiger prawn, Penaeus monodon.  J. Mol. Catal. B-Enzymatic, 12, 137 - 144 .

Uo, T., Yoshimura, T., Tanaka, N., Takegawa K., and Esaki, N. (2001) Functional characterization of alanine racemase from Schizosaccharomyces pombe: A eucaryotic counterpart to bacterial aanine racemase.  J. Bacteriol. 183, 2226 - 2233.

Watanabe A, Yoshimura T, Mikami B, Hayashi H, Kagamiyama H, Esaki N. (2002) Reaction mechanism of alanine racemase from Bacillus stearothermophilus: X-ray crystallographic studies of the enzyme bound with N-(5'-phosphopyridoxyl)-alanine.  J .Biol .Chem., 277, 19166 - 19172.

Kato.S., Mihara, H., Kurihara, T., Takahashi, Y., Tokumoto, U., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2002) Cys328 of IscS and Cys63 of IscU are the site of disulfide bridge formation in a covalently-bound IscS/IscU complex: Implication for the mechanism of iron-sulfur cluster assembly.  Proc. Natl. Acad. Sci., USA, 99, 5948 - 5952 (2002).

Yoshimune, K., Yoshimura, T., Nakayama, T., Nishino, T., and Esaki, N. (2002) Hsc62, Hsc56, and GrpE, the third Hsp70 chaperone system of Escherichia coli. BIochem. Biophys. Res. Commun. 293, 1389 - 1395.

Uo, T., Yoshimura, T., Nishiyama, T., and Esaki, N. (2002) Gene coning, purification, and characterization of 2,3-diaminopropionate ammonia-lyase from Escherichia coli.  Biosci. Biotechnol. Biochem. 66, 2639 -2644.

Yow G.-Y., Watanabe, A., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2003) Conversion of the catalytic specificity of alanine racemase to a D-amino acid aminotransferase activity by a double active-site mutation.  J. Mol. Catal. B-Enzymatic, 23, 311 - 319.

Fuchikami Y, Yoshimura, T., and Esaki, N. (2003) D-Amino acid aminotransferase: fragmentation at a flexible loop is an efficient method to generate mutant enzymes with new substrate specificities and elevated activities.  J. Mol. Catal. B-Enzymatic, 23, 321 - 328 (2003).

Park C., Kurihara T., Yoshimura, T., Soda, K., and Esaki, N. (2003) A new DL-2-haloacid dehalogenase acting on 2-haloacid amides: purification, characterization, and mechanism.  J. Mol. Catal. B-Enzymatic, 23, 329 - 336.

Kato S., Ohshima, T., Galkin, A., KUlakova, L., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2003) Purification and characterization of alanine dehydrogenase from a marine bacterium, Vibrio proteolyticus.  J. Mol. Catal. B-Enzymatic, 23, 373 - 378.

Kurihara, T., Mihara, H., Kato, S., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2003) Assembly of iron-sulfur clusters mediated by cysteine desulfurases, IscS, CsdB and CSD, from Escherichia coli.  Biochim Biophys Acta. , 647(1-2), 303-309.

Yow G.-Y., Uo, T., Yoshimura, T., and Esaki, N. (2004) D-Amino acid-N-acetyltransferase of Saccharomyces cerevisiae: A novel member of Gcn5-related N-acetyltransferase (GNAT) superfamily encoded by HPA3.  Arch Microbiol., 182, 396-403.

Yoshimune K, Galkin A, Kulakova L, Yoshimura T, and Esaki N (2005) DnaK from Vibrio proteolyticus: Complementation of a dnaK-null mutant of Escherichia coli and the role of its ATPase domain.  J. Biosci. Bioeng. 99 (2): 136-142.

Yoshimune K, Galkin A, Kulakova L, Yoshimura T, Esaki N (2005) Cold-active DnaK of an Antarctic psychrotroph Shewanella sp Ac10 supporting the growth of dnaK-null mutant of Escherichia coli at cold temperatures.  EXTREMOPHILES, 9, 45-150.


総説・著書・解説 等

Soda, K., Yoshimura, T., Esaki, N. (2001) Stereospecificity for the Hydrogen Transfer of Pyridoxal Enzyme Reactions. Chemical Record 1., 373-384 .

吉村 徹、片倉啓雄、上田 宏 (2001)  タンパク質のファージディスプレイ. 現代化学, No. 367, 55 - 62

吉村 徹 (2002)  遺伝子とゲノム、発生と分化. 「生化学 基礎の基礎」江崎信芳、藤田博美 編(化学同人)pp. 84-87, pp. 145-147.

吉村 徹 (2003)  ファージディスプレイ法で何ができるか.「コンビナトリアル・バイオエンジニアリング」植田充美、近藤昭彦 編(化学同人)pp. 99-103.

吉村 徹 (2003)  哺乳動物脳の内在性D-セリンとセリンラセマーゼ . ビタミン, 77, 163 - 164.

Yoshimura, T., and Esaki, N. (2003) Amino Acid Racemases: Functions and Mechanisms. J. Biosci. and Bioeng. 96, 103 - 109.

吉村 徹 (2004)  真核生物におけるD-アミノ酸の機能と代謝. 生化学, 76, 378-381.

吉村 徹 (2005)  D-アミノ酸: 注目されるバイオファクター. バイオサイエンスとインダストリー、63, 326-327.




 

 

 

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